先日、友人に「最近なんだか疲れやすくて、毎日がパッとしない」と相談されました。話を聞いていると、彼女の生活パターンは私が数年前に経験していたものとよく似ていて、つい自分の体験を重ね合わせてしまいました。
当時の私は、とにかく忙しさに追われる毎日でした。朝はギリギリまで寝て、慌てて身支度を整えて家を出る。昼食は時間がないからとコンビニのサンドイッチを急いで食べ、夜は疲れてソファでテレビを見ながらうたた寝。休日も平日の疲れを引きずって、気がつくと一日中家でゴロゴロしている、そんな生活でした。
そんな中で転機となったのが、祖母の家を片付ける機会でした。昭和初期生まれの祖母の家には、物は少ないけれど一つ一つが大切に使われている様子が伺えました。古い茶器や手縫いの布巾、丁寧に手入れされた家具。どれも決して高価なものではありませんが、長年愛用された品々からは温かみを感じました。
その時にふと気づいたのは、私の生活にはそういった「愛着」のようなものが欠けていたということです。使い捨ての便利さに慣れてしまい、物も時間も大切にする感覚が薄れていたのかもしれません。
それからは、意識して生活のペースを少しずつ変えてみることにしました。まず始めたのは、お気に入りのマグカップでお茶を飲む時間を作ることでした。せかせかとペットボトルのお茶を飲むのではなく、好きな茶葉を選んで、湯温にも気を遣って丁寧に淹れる。たった10分程度のことですが、この時間が心を落ち着かせてくれるようになりました。
週末の過ごし方も見直しました。以前は「せっかくの休みだから」と予定を詰め込みがちでしたが、今は午前中をゆっくり過ごすことを大切にしています。窓を開けて風を感じながら、好きな音楽をかけて部屋を片付けたり、近所のパン屋さんに焼きたてのパンを買いに行ったり。何も特別なことはしていませんが、自分のペースで過ごす時間の贅沢さを知りました。
食事に対する向き合い方も変わりました。料理は得意ではありませんが、野菜の色合いを楽しんだり、出汁の香りに癒されたりしながら、手作りの温かい食事を摂るようになりました。外食やテイクアウトも楽しみますが、自分で作ったものを食べる時の満足感は格別です。
人間関係においても、量より質を重視するようになりました。SNSで繋がっている人は多くても、実際に会って深い話ができる人は限られています。最近は、本当に大切な人たちとの時間を丁寧に過ごすことに重きを置いています。長電話をしたり、一緒に散歩をしたり、お互いの近況を心から聞き合える関係性を築いていきたいと思っています。
季節の移り変わりを感じることも、生活の質を高めてくれています。桜が咲けば花見に出かけ、夏には風鈴の音に耳を傾け、秋には紅葉狩りを楽しみ、冬には温かい飲み物で体を温める。日本の四季の美しさを改めて感じるようになり、自然のリズムに合わせて生活することの心地よさを知りました。
睡眠環境にも気を遣うようになりました。寝室の照明を調整したり、肌触りの良い寝具を選んだり、就寝前にはスマートフォンを見ないようにしたり。質の良い睡眠は翌日の活力に直結することを実感しています。
読書の習慣も復活させました。学生時代は本をよく読んでいましたが、社会人になってからは忙しさを理由に遠ざかっていました。最近は通勤時間や就寝前に小説やエッセイを読むようになり、日常とは違う世界に触れることで心が豊かになる感覚を味わっています。
お金の使い方についても考え方が変わりました。安いからという理由だけで買い物をするのではなく、本当に必要なものかどうかを考えてから購入するようになりました。結果的に無駄な買い物が減り、本当に気に入ったものを長く大切に使えるようになりました。
整理整頓も生活の一部として楽しんでいます。物が溢れた部屋にいると心も落ち着かないものですが、必要なものだけを残したシンプルな空間にいると、頭の中もスッキリします。掃除も作業ではなく、自分の住空間を整える大切な時間として捉えるようになりました。
こうした小さな変化を積み重ねていくうちに、慌ただしかった毎日に余裕が生まれ、日々の暮らしに深みが増したように感じています。特別なことをしているわけではありませんが、一つ一つの行動に意味を見出し、丁寧に過ごすことで生活の質が向上したと思います。現代社会のスピードに合わせるだけでなく、時には立ち止まって自分らしいペースを見つけることが、充実したライフスタイルを築く鍵なのかもしれません。